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nokatachi

NOKATACHI The outline of eat.

市場に出せないアスパラガスに価値を。

アスパラガスはユリ科である。
夏になると小さくて可憐な花を咲かせる。ミツバチが飛び交い、隣の田んぼではカエルが鳴く。 鼠や土竜の穴が彼方此方にあって、飼っている猫が日向で陽を浴びる。
秋になると、その年の農作業が終わって収穫祭というささやかな食事会をしてお互いを労う。
立茎の進んだアスパラガスの畝の隣には伝承野菜の赤大蒜が収穫を待つ。

バーニャカウダはイタリアのピエモンテ地方の郷土料理だが、日本の鍋料理と似ていて、食卓の真ん中に”フォイョ”と呼ばれるテラコッタ製の鍋を置き、その中でバーニャカウダを熱して、生の野菜や加熱した野菜をつけて食べる料理だ。 さらに、もともとは収獲のある秋から冬にかけて食べられていたもので、畑仕事を終え家族や友人と食卓を囲み、バーニャ・カウダとできたての新酒で収獲を祝った。
畑のものを美味しく頂こうと思ったら同じような感じになった。 野菜の旨味や香りをオイルで煮ることで逃さないで口まで運ぶ。

私どもの農地ではアスパラガスと赤大蒜を育てている。
作物の生育に影響する天候や病気と闘いながら、日々、畑に出向いては管理、収穫に勤しむ生活を送っている。 手塩にかけて育てた野菜の一部が流通の基準に満たない事がある。 アスパラガスの場合は頭が開いているというモノになるのだが、この均一化という同化が伴わなかったアスパラガスたちは排除される事があまりにも勿体ないので、そういった役立たずのアスパラガスを塩漬けにして保存している。

アスパラガスの塩漬けは、アスパラギン酸という旨味成分を凝縮してくれる。
その旨味はバーニャカウダに良く合った。
食べてもらうために育てた野菜は、やはり人を通って土に還したいと思う。
流通にのれない野菜を、さらに美味しくなるように手を加えバーニャカウダとして届けている。
今季の市場に出せないアスパラガス【塩漬け0kg/40kg】

  • 01

    ご挨拶


    畑は山形県北東部に位置する最上町にある。
    車で山形市からは3時間ほど北上し山間を抜けていく。途中の山には山菜やキノコがあるので時期になると知ったポイントを確認する場所がある。秋田県との県境に近い土地柄でもある。
    中世末期から近世にかけて新田開発が行われた為、稲作が盛んだ。


    以前は、縄文以来の採集・狩猟を主体とするものであり、その傍らで小規模の稲作が行われていた。
    日本海側の秋田から山形、新潟の北部あたりや山間部にかけては、戦後間もない時期まで、カノと呼ばれる焼畑でソバやカブを作り、それを常食にしていた。カブ漬けは冬越しの大切な食べ物とされていた。その傍らでは山の田圃を耕し、山菜・きのこ・木の実を採集し、冬の雪に埋もれた季節になると、猟銃をかかえて山に入り、山鳥や野兎を捕り、雪解けの季節には熊を狩る。といった暮らしのスタイルをしていた。(赤坂憲雄『婆のいざない』052頁)


    この地域では、狩猟する者を見かけることは少ないが、それ以外は年配の方と話していると良く聞く。特に山菜は春になると、その人達の特別な場所から採集したのを分けてもらうことがある。分けてもらう際の少し誇らしげな雰囲気のワケが知りたくて、今では私も真似している。


    目に見える風景がそうであるように、季節によって人の行動が変化していく土地にいる。

    春にはアスパラガスの収穫期があり、うちの畑には鼠浄土に続くかのような小さな穴が所々に開いている。 夏は奥羽山脈を水源とし流れる清流最上小国川で香魚と言われる鮎を塩漬けにして、秋には来期の赤ニンニクの植え付けがあり、そして冬は家にこもりながら陶芸の土を捏ねたり、手前味噌を漬ける。
  • 02



    初めまして、NOKATACHIの二戸 勝也です。 NOKATACHIの前身であるノカタチ食堂を始める時、「目には見えない想いを形作る事がしたい」という意味を店名に込めました。

    食堂屋をしていて美味しいは変わるという事を知りました。 ずっと美味しいを考えてきました。 それは、土味や風の味、手の味となってNOKATACHIの記憶にしまわれています。

    好きな話があります。


    宮沢賢治の童話作品『注文の多い料理店』
    私たちは、氷砂糖を欲しいくらい持たないでも、綺麗に好きとほった風を食べ、桃色の美しい朝の日光を飲むことができます。私は、そういう綺麗な食べ物を好きです。
    最後は、「私は、これらの小さな物語のいくきれかが、おしまい、あなたの好きとほった本当の食べ物になることを、どんなに願うかわかりません」と結ばれていた。
    言葉を持って紡ぎ出した物語が「好きとほった本当の食べ物」になる事を願う、という。


    もう一つは『畑のへり』
    「麻が刈られましたので、畑のヘリに一列に植えられていたトウモロコシは、大変立派に目立ってきました。」トウモロコシが主人公ではありません。 小さなアブや、鼈甲色の羽虫が挨拶にやってきます。そして風にトウモロコシの穂がザワザワ鳴るとカエルが跳んできて、いきなりトウモロコシの列を見てびっくりしてしまうのです。 おや、変な動物が立っているぞと。植物と動物との境界がどこか不確かで、曖昧に溶け合っているのです。そこでは植物だって動物だって皆おしゃべりです。獣ばかりか、鳥も虫も魚も、草も木も、それぞれに言葉を持っています。風がそれを運んでくるのです。風が翻訳機械なのです。 「新修宮沢賢治全集 第十一巻 筑摩書房 」


    共に畑で農耕をしていると、ふと見えてくる話です。


    NOKATACHIの詳細は、ページ下部のFood log[オイル漬けソース(バーニャカウダ)ができるまで]の[NOKATACHIのoutline]をご覧下さい。
  • 03

    [取扱店]
    おーばん南尾花沢店
    (アスパラガスのみ)
    若鮎の里 産直まんさく
    (漬物のみ)

    chus 栃木県
    SUBSTANCE 福島県
    mumokuteki 京都府/千葉県
    people 埼玉県
    日用美 神奈川県
    鹿落堂 宮城県
    2号室 山形県

    山形市 hana cafe 不定期屋外出店


    [沿革]
    -2022-
    塩の会ワークショップメンバーと自然農法の畑でご飯の会を開催
    友人の結婚式のご飯会を開催

    -2021-
    アスパラガスのバーニャカウダの販売開始。 新たに山間部の耕作放棄地で自然農法を開始。(コンポスト/米糠/豆/ブルーベリー/山椒)
    陶土を山から採集した(水簸/はたき土/釉薬/丸石)野焼きをした(ドラム缶窯/薪/焼き締め)

    -2020-
    塩の会ワークショップを開催。 山形県最上町で赤大蒜/アスパラガスの栽培を開始。 NOKATACHIの[食べる]採集活動を開始。 (黒文字/山葡萄/馬葡萄/赤ヤマドリタケ/山菜/キノコ)(植物やキノコの乾燥/肉の塩漬け/果物の発酵/味噌/アスパラガスの塩漬け/青菜漬け)(天童のシシ踊りを見た/庄内の松例祭に参加した)

    -2019-
    山の食材を使った食事会をした(ジビエ/山菜/発酵食)

    -2018-
    町の食堂屋として町民・大学と行政が連携した建物のカフェスペースへ店舗拡大の為、移転する。

    -2016-
    食堂屋を開業。
    自然農法の農家さん出会う

    -2015-
    築80年の小屋を一人で店舗へDIYする。

    -2013-
    住宅設計をする為、設計事務所へ入社。
    薪窯での陶芸を始める。

Dishlog 採取したものを調理する

食材の分解

山からの落ち葉
腐葉土づくり

祖父が耕した里山の畑の土と近くなるように、その山の落ち葉を集めて堆肥作りをしている。

文献を調べてみると、ナラ林文化:採集(樹皮文化)・狩猟(鹿)・漁業文化(鮭)→焼作文化(豚の飼育)。 近い海外ではナラ林文化・長江流域を境にその南には常緑の照葉樹林帯が広がり、その北には落葉広葉樹林帯(ナラ林帯)が広がるとある。この典型的ナラ林帯における採集もあるようだ。 狩猟民の伝統文化には、内陸森林・狩猟型と沿岸・定着漁型の二つの類型があり、両者を通じて樹皮文化など共通の文化特色が数多く見いだせるとある。 この地域には、北回りのアワ・キビやオオムギ、洋種系カブなどの主作物とする北方系畑作農耕がBC1000年紀の初頭までに伝来し、その影響はかなり早い時期に東北日本にも及んだと考えられている。
引用文献  佐々木高明 2006年『山の神と日本人』洋泉社      

元々、森には山の神信仰「①猟師および山稼ぎ人の祀る山の神」と「②農耕民の祀る山の神」の二つがあること。①の山民の山の神は動物の主・山の主としての特性を有し、山と森を占有し支配する厳格な神格を持つ。これに対し②の農民の山の神は田の神との季節的な交替あるいは祖霊との結びつきその他に、その特色を見出せる物だという。
引用文献  クロード・レヴィ=ストロース 1990年『やきもち焼きの土器つくり』みすず書房

細かな内容などは未だに実感が少ないが、亡くなった祖母は少し前はこれに近い暮らしを実感はしていたと思う。落ち葉を拾ってくるという事だけでも、今の畑に取り入れたく実践している。
食材の分解

鹿踊り
山形県天童市の鹿踊りを見てきた。
子供や大人が神社に集まって踊りを囲む。終わると写真撮影会が始まった。お面は魅力的なのか子供が寄っていく。撮影を終えると、お面の下からお兄さんのやり切った笑顔が現れた。

柳田国男は、シシ踊りはアイヌの熊祭りのようではないかと述べている。そして、獅子頭の霊物視は狩猟時代の動物の祀り方に繋がっていくという見方を示している。少なくとも東北地方の「鹿踊」について、獅子舞が伝来する以前から鹿の頭を神に捧げる祭りごとにおいて発展したと捉えていた。

古来、人間の野獣に対する観念には重層性があったと考えられる。一つは、狩猟時代以来の毛皮や食肉提供に関わる野獣への感謝の念、聖獣感、又は殺生への供養観念である。もう一つは、農耕開始以降に作物を荒らす害獣への怖れと怒りであり、鹿や猪を駆逐または服従させたいとする観念である。

引用文献 菊地和博『シシ踊り〜鎮魂供養の民族〜』(岩田書院 2012年)

山形県大江町七軒地区の無くなった地名から考える。岩根沢は、星の信仰と山岳信仰から成る交差地点の地名であった。
なぜ人も通らぬ山奥に人が住み着いたのだろうか。それは原日本人まで遡れる。まだ木の実や草の実を集め、魚や貝を食し、たまにはヘビやカエルも味わう縄文の頃、住み良いか住みにくいかという事、そしてそこがどういう特徴を持った土地かという事を考える。
山ノ神が祀られていた場所、そこは人々の祈りの場所であったのかもしれない。狩りや採取を生活の糧としていた縄文の人々にとっては導きの星であり、そのまま信仰の対象であったという話がある。
引用文献  『七軒東の郷土史』(貫見こぶし館 1999年)
食材の分解

農作業
農業は生命の死骸や排泄物を分解して新しい命の栄養素に変換する土壌の機能に繋がっている。
その農業が土から離れていこうとしている。それは戦後の資本主義の中で慣行農業として確立させてきた産業のカタチとなっていくのだろう。
しかし土の上にある農業に農の原理があるのかわからない。
暮らしに繋がっていて生きる為に食べていくという事を考えたい。
それを中心に暮らしが回っていることが農の原理だと推測する。
そうすると、農だけを考えることは出来ず、それは食だったり心、政、技との関わりの中で農は形作られる。それを大切にしていきたい。


元は農民を百姓と言っていたようだ。
この百姓は何でもやる人という意味があった。
300年程度前に士農工商の制度が出来た時に農民と括られてしまった。
しかし元々を辿れば日本列島の民族は海の外からやってきた人たちでもある。日本人が元々持っている農を通しての自然の見方を掘り起こしてみたいと思う。
それは農地につながる自然を農民に止めることなく、都市に住む人たちにも作物として農を届けることが必要に思う。都市に住む人も2~3世代前は農民であり百姓だったのだ。

Foodlog採取したものを食べる