2020/03/26 20:23
nokatachi 2020/03/21
【塩を作り肉を食べるワークショップ】
素材
柳川温泉は大江町の西方、柳川地区。平成6年整備された。柳川温泉は入り口の右側に飲泉所が有り、県内でも数少ない飲める温泉となっている。
全国的には鉱泉から塩を取ることも、古くから行われていたようである。これを井塩という。
柳川温泉 他の温泉塩 海水
塩化ナトリウム 74,60% 77,76% 90,05%
マグネシウム 0,07% 0,43% 0,29%
カリウム 0,75% 0,42% 0,08%
塩と人体
人間は米、魚、肉類など酸性食品を食べ、また牛乳、果物、野菜、海藻類などアルカリ食品を食べるが、そこにはひとりでに体液が酸やアルカリに偏らないように緩衝能と呼ばれる作用が働いて調節が行われている。
歴史
・塩の発見
大昔の縄文時代(3000~5000年ぐらい前)は、石器を使う程度の狩猟文化で、魚、鳥、獣類の肉食をすることで有機塩が取れ、人体の塩分要求は間接的な方法で、どうにかまかなわれていた。
弥生時代の農耕文化が始まると、一か所に定住して、植物食品を主に取るようになった為、それに多く含まれているカリウムと無機質バランスをとるには、どうしてもナトリウム、つまりは塩の要求が強くなるのは当然であった。
製造
・海水直煮製塩
東北の山間民の場合は、交易をしないので、商業ルートから塩を入手する方法がなく、そのため牛馬に薪を積み、山から海辺へ降りて浜に小屋を作り、そこに住み着いて、自分たちで海水を汲みそれを煮詰めて塩を作り、俵につめて山へ持って帰る暮らしを、明治の中頃まで続けていた。
一般に岩塩が日本にほとんどでないようです。
岩塩というものは、古い地質時代に塩水湖があったり、それを蒸発させてしまうほどの砂漠生の高温乾燥気候のところでないと出ないのようで、岩塩が出るのは大陸の内部ということに概ね限られてるらしい。日本は4方が海に囲まれているから自ずと海水を汲んで塩を作ったが、山間部の人は苦労したらしい。きっと物々交換の始まりは山の幸と塩の交換だった気がする。魚でも良いけど、山人なら山の幸を美味しく、また保存できる塩は重宝したと思う。
・藻塩焼き製塩
「藻塩焼き」という塩作りの方法は、海からとってきたホンダワラやカジメなどの、大型の海藻
を浜辺に積んで、それに海水を注いで乾かし、その繰り返しを7回もして塩気を強め、それを焼いて塩分を含んだ塩灰を作り、塩灰を海水で溶き、釜で煮詰める方法である。藻塩焼きは塩釜神社の神事に際して、このような方法で塩作りがなされる他は、実用としてこの方法が後世に伝えられたところはほとんどないらしい。そのはずだと思った。乾燥させては塩水をかけるを繰り返すのは面倒でならない。直火式が好きだ。
保存
・塩蔵法
塩を作るのは大変だ。煮詰めればできるといえ大量の液体を煮続けるのは気が遠くなる。しかも潮解性をあり、保存するにも液状化しようとしてくる。不可視の人は保存する最良の方法として、塩を動物性あるいは植物性食品の繊維や、タンパクの中に含ませる塩蔵法が行なっていたらしい。つまり醤である。塩作りから見る「醤」はまさか塩の保存法であるとは思わなかった。
実演
直火式製塩法を用いて鹹水させておいた塩水を煮詰めて、液体から固体になる過程を観察した。
出来立てを食べると、塩味が先にきて旨味、苦味と感じた。時間がたつと苦味が先に来て旨味の中に塩味がある。塩の温度で味の変化があった。
塩が結晶化する際には、鍋からパチパチと塩の結晶が飛び散った。
料理
猪肉を使用した。冬の猪は脂を非常に蓄えており、その脂でラードを作りモモ肉をフランスの保存料理コンフィで調理した。事前にモモ肉はスパイスのグローブと大江町で採れた香草のクロモジの塩水で一晩漬けておいた。その後、低温で煮てそのまま脂の中で保存する。この過程でモモ肉はしっとり柔らかい肉質になる。食べる直前には炭で表面を燻し香りをつけた。
5名の食卓で1kgのモモ肉の塊を用意し厚さ1センチで切り分けた。
概ね好評できれいに無くなったのは嬉しかった。
結
塩を塩として人が必要としたのが約5000年前らしい。その頃各地で行われていた行為に宴がある。塩は人体に必要な栄養素から、食材の旨味を引き出すだけではなく、保存や味の変化を人類にもたらした。そして5000年経った今も私たちは塩を作り食卓を囲み楽しい会話をして繋がる。
これから5000年経ったとしても、自然豊かな環境に身を置く限り食卓の風景は変わらないのだろうと思う。
流れていく環境からそのとき採れる食材を、留めておく塩はできたので次は醤です。
参考
平島裕正「塩」法政大学出版局 1973
温泉分析表 柳川温泉
素材のアイデア 小雲