2020/10/12 23:34
参考文献
野林厚志「肉食行為の研究」平凡社 2018
大塚滋「食の文化史」中公新書 1975
リチャードランガム「火の賜物」NTT出版 2010
NOKATACHIとして、私が山に入るきっかけとなった植物です。
香りと、柔らかい姿に日本の美しさがあり、それを求めて山に遊びにいくうちにキノコや山菜といった食材にも触れるようになりました。
ご飯会でも多数のクロモジ料理を作っては奥深さを知ることになります。
クロモジの生育環境や歴史を紐解きながら、食材としてフィールドワークを重ねています。
海抜約350m~500mに生育。
落葉広葉樹の林の中に点在する灌木である。(3mくらいの低木)
枝の香りが良いことから、楊枝、箸、串、薬用など古くからいろいろ用いられた。そのための地方名が多い。
クロモジの香りは、柑橘系の香りに若干サイダーのような香りが含まれています。水のなかに枝を入れて冷やして飲むと、爽快感のある水になります。
単純な調理で摂取できる茶の行為でも各地で違う。それは栄養を取りやすくする工程、長期保存するの過程の違いとして表れる。そして嗜好品としての価値を持つ。この栄養摂取と長期保存可能、嗜好品、で人が最初に反応したのはどこなんだろうと思う。
私は、最初にクロモジと出会った時、その香りの美味しさに惹かれた。
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室町時代以前の製茶法は、手近な茶の枝を折り取り、焚き火で炙ってからその葉をヤカンに入れて煮出すというもので、土地によっては焼き茶と呼んでいる。
さらに最も単純な方法は、茶葉を蒸してから、軽く揉むか、あるいはそのまま天日に干すというもので、それが発達したのが唐時代の餅茶であり、平安時代初期に留学僧によってもたらされた朝廷で愛好された茶はこのタイプであった。
ミャンマーのジンポー族は、山中で茶葉を摘み、山の小屋で製茶するとき、竹籠の中に生茶を入れてその上に焼き石を並べ、これを何段か重ねて水をまき、バナナの葉を乗せて30分おき、取り出したら囲炉裏の上で乾燥させる。
キノコの時期は、キノコを採取しに山へ行きます。
畑の畔にあるウマブドウ/ノブドウ/ドクブドウと地方によって違う呼び名の苦い薬草。
風邪薬用に焼酎漬けにしています。
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室町時代には香の匂いを嗅ぎ当てる「聞香」という優美な遊びがあり、この聞香の嗅覚休めに、大根の漬物が良いとされていた。初めは大根の塩漬けが聞香に使われるところから、香の物と呼ばれ、後には、漬物全体を香の物というようになった。
例えば、もし人類が火を自在に扱えるようになる前に、食べ物を柔らかくする別の方法を見つけていたとしたら、発酵は加熱と同じくらい食べ物を柔らかくし、食欲をそそり、細菌の繁殖を防ぐ効果をもたらしたことになる。それも、火やその他の複雑な技術なしにである。
肉を柔らかくするには長時間トロ火でになければならない。発酵は食べ物の栄養の質も変える。加熱はビタミンを破壊するので、発酵は加熱よりも有益である。
例えば、パプアニューギニアでは基本的食料をサゴヤシに頼っており、発酵したペーストにして保存する。この地方に住むトムラル族の言語には、発酵のことを”kwat”というが、これは分解と豊穣の意を同時に含んだ概念全体を意味する。水の中で加熱することは”kwala”という。発酵に由来する言葉がなぜ使われるのか。
それは水の中での加熱は伝統的に熱した石を投げ込んで行われるからだろう。発行の過程で水が沸騰するようにプツプツと気泡が生じる、それで水の中の加熱にも、発酵で目にする物理現象にもとづく名称がつけられたのだろう。
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『ノカタチのハンバーグからNOKATACHIのバーニャカウダへ』
中世初期、ローマ文化とゲルマン文化が合流する。それは都市文明と農村文明、これに対して森との繋密な関係の中で生きていた狩猟や牧畜、採取によって食料の大半を占めていた民族間の合流である。パン、ワイン、オリーブの文化と肉、乳、ビール、バターの文化でもある。ローマ文明はゲルマン文明を「野蛮な」ものとして蔑んだ。しかし「蛮族たち」がローマ帝国に侵入し、次第に支配を拡大して権力を握ると彼らの文化が食に関しても「時世にかなったもの」として認められるようになる。それは勝者の生活習慣が広がるという点でどの時代にも生じることだ。こうした流れが交わるところから今日ヨーロッパの食文化と私たちが認める、新しい食の文化が中世の時代に生まれたのだ。
「「野蛮な」ものとして蔑んだ・勝者の生活習慣が広がる」の現在を考えていきたい。
参考文献
アルベルト・カパッティ「食のイタリア文化史」岩波書店 2011
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発酵と叩く
タルタル・ステーキとは、ハンバーグの前身だとされている。現在、世界中で広く知られているのは、生の牛肉または馬肉を包丁でたたいてみじん切りにし、オリーブ油、塩、胡椒で味付けし、玉ねぎ、にんにく、ピクルスのみじん切りなどの薬味を添え、卵黄でトッピングした料理である。
タルタルは、ヨーロッパに侵攻したモンゴル軍をタルタル(あるいはタタール)人と称したことに由来するのは俗説である。モンゴル軍がタルタル・ステーキをヨーロッパに伝えたという証拠はほとんどない。実際は生肉を乾燥したものを利用されたので、今日のタルタル・ステーキをモンゴル人が食べていたわけではない。
しかし、当時のモンゴル人の騎馬軍は食料として羊の生肉を乾燥し、木槌で叩いてほぐしていた。細長く短冊状に裁断した乾燥肉を袋に入れて鞍の下に納めて携行したともされていて、乾燥肉は乗り手の重さで押しつぶされ、さらに馬のお体温の相乗効果で柔らかくなったという。食事の際にはケッパーや香辛料で味付けをし、叩いて粉末にした乾燥肉に、沸かした湯や乳、ヨーグルトを加えた。
引用文献 マリー=クレール・フレデリック『発酵食の歴史』(原書房 2019年)
メソアメリカの墳墓を含む先史遺跡で発見される磨り石はマノ、石生の台ないし皿はメタテと称される。マノはスペイン語で「手」を意味する。マノとメタテの形状は色々あるが、メタテは平たくて大きな石で円形ないし長方形が普通である。表面は湾曲しており、脚なし3脚ないし4脚がつけられ、鳥、ジャガー、ワニ、サルなどのモチーフが形象化されている。マノは長い棒状のものから、球場、楕円形、石鹸状、方形のものまで多様である。メタテの上に素材を置いて、マノを前後に動かして砕く。
参考文献
秋道智彌「たたきの人類学」玉川大学出版部 2019
東南アジアのタイで用いられる臼(クロック)と杵(サーク)がある。