nokatachi

2021/11/06 11:28


食卓を考えてみる。

まず、食べるということは主体と客体が混じり合って行くことで、相手が土地でも機械でも変わらないと考える。

共食における食卓を囲う「私たち=人間」なるものを機械ではないものとしてではなく。

人間と機械を一定の規則に従って動くものとして捉えた上で、そこから外れる人間的領域を根拠として両者を比較するのでもなく、むしろ、私たち自身が予想も制御もできない仕方で生成変化してく道筋に共食であり個食ら辺がある気がしている。


参考文献:機械カニバリズム


一部引用


誰にでも理解できる客観的な情報へと様々な人間的営為を変換していく私たちの「自己」のつくり方自体が、それをコンピューターによる非文脈依存的な記号操作と類似的なものにしているのである。


非近代社会における動物人間の形象が示してるように、完全には制御できない人間以外の存在との関係を軸にして社会関係を形成することは人類において珍しくない営為であり、機械と人間が結び付く事で生まれる第三のエージェントを、私たちはこれまでも完全には制御などしてこなかった。