2022/05/29 18:54
ポール・B・トンプソンは、誰にとって十分な持続可能なフードシステムなのか。を論じ、また、藤原辰史は農の原理として、過去の資本主義への農の統合を糧にして、医/食/心/政/技への統合を検討する。宇根豊は農の半分を資本主義から外すとし、農の価値を農作物だけではなく、風景や自然環境の価値を組み入れて「環境支払い」を提唱する。と極めて簡単にだがまとめておく。
その中でも、ポールの食農倫理を3つの視点から分けるのは分かりやすかった。
それは食料充足性・生態学的健全性・社会的持続可能性である。
しかし、恥ずかしながら私の畑は、このどれにも立ち位置を表明できるほど吐出もしていなければ深掘りもできていない。
今最も興味があるのは、小農の「家族経営」という文脈の「家族もしくは公私」の再解釈と、農を農業とした「労働」の再解釈だ。これがどれに位置していくのか見当違いなのかは、夏の草取りを終えてから考えたいと思う。
参照文献/参考文献
(2021) ポール・B・トンプソン【食農倫理学の長い旅】
(2021) 藤原辰史【農の原理の史的研究】
(2016) 宇根豊【農本主義のすすめ】
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1925年、チャヤーノフは「小農経済の原理」を発表した。
経済学では捉え難いノイズから小農の以外は強靭さの秘密を探るチャヤーノフは、アメリカ的資本主義とも、ソ連式集団化による大規模農業化とも異なる道を、小農連隊である協同組合の試みの中で模索していたのである。
横井の小農論と農本主義は、チャヤーノフの小農経済論の影響を受けている。
横井の思考は世界同時的な農をめぐる思想の融合である。それは、世界同時的な「自由競争社会」に対抗する理想の中に位置付けなければならない。
横井は、資本主義的な経営形態が農業に不適合と考えていて、資本主義的経営形態とは異なる小農の経営形態を分析した。
市場の示唆する価値に従順であることが求められる現代社会では、農業固有の価値を探ること、換言すれば、経済偏向社会の中で生の在り方を探ることは、私たちの課題であり続ける。
小農に関する研究・愛着心/友情/技術的堪能/自然
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1950年代から食品添加物や農薬の残留物の規制をめぐる混乱がある。これに対して大衆は自然食品の方を選ぶようになった。自然食品は最終的にオーガニック食品に置き換えられた。今度は地場さんの食品に熱い視線が向けられている。
しかし、地場産といった食品を購入すれば、倫理的な食事をしていると言えるのだろうか。
現在、論争しているのは、広く支持されている食選択の具体的な経験判断は、実際に環境的に持続可能な消費を促進するかどうかについてである。
私たちの食選択が、市場と貿易の複雑な経済的因果関係を通じて、人、動物、環境にどのように影響を与えるかを考えるべきである。
そのように産業フードシステムは示唆するかもしれないが、そもそも、私たちが自分自身を消費者としてそのように産業フードシステムそのものが論理的に望まないものであるかどうかを考えるべきかもしれない。
私たちは消費者でなければ何者として、自分自身を見なすだろうか。市民であり職人であり農民である。は一つの答えである。
ポリスでの農業の実践は、美徳、連隊、相互依存、そして農業者の精神性を生み出す。
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1983年ごろ
食料充足性の支持者は、人口増加と食料需要を重視する。
土地や水、使用可能なエネルギーの供給量が低下していく中で、さらに生産量を高める努力が必要だ。
生態学的健全性の支持者は、大地を鍬で掘り起こして、単一種だけを整然と並べる以上に悪いことは想像できない。
社会的持続可能性の支持者は、工業的なものカルチャーによる様々な影響、すなわち健全な農村コミュニティーの破壊に気がついていた。
持続可能な開発とは、将来世代がみづからのニーズを満たす能力を損なうことなく現在のニーズを満たす開発である。
資源充足性の倫理
食料は現在の世界で不平等に分配されている多くの財の一つである。他にも、医療、住居、エネルギー、基本的な人権サービスもまた、分配的構成の対象となる。
人は、一方では富と貧困、他方では人種、階級、ジェンダーなどの分類によって識別される。
これは農業の産業哲学である。
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現在
人為的な気候変動によって従来の規範や方法を異実用的なものにしてしまった時代における、保全生態学に関する科学的、哲学的な様々な問題について、新しい生態系を、
人間の影響によって歴史的に優勢になったものとは異なり、将来的に人間の関与なしに自己組織化し、その新規制を保持する傾向がある生物及び非生物的構成要素/相互作用からなる物理システム。そして、人間の甚大な影響を反映した生態系を農場と呼ぶ。
例えば、農業地域は産業文明の影響から、自然地域を保護する緩衝地帯と見做されるべきと論じている。