nokatachi

2022/10/29 08:31


マイケル・ポーラン

『人間は料理をする』
 (野中香方子 訳 NTT出版 2014年)


人は発酵の風味を、良くも悪くも強く感じる傾向にある。

おそらく人間は、アミノ酸の基本的な構成要素(旨味)と単純なエネルギーの塊(甘味=単糖)を好む味覚受容体を進化させてきたため、調理によってであれ発酵によってであれ、それらに分解された食品に、好ましい反応を示すのだ。

食品を腐敗させる微生物が、果物のように自らの目的のために強い香りを作り出すということはあり得るのだろうか。果物が熟す時に強い香りと味が生じるのは、動物を惹きつけて種子を運ばせるためだ。果物や他の食品を腐らせる微生物も、信号となる化学物質を放出する。中には、競争相手を撃退するための化学物質もあるが、それ以外は誘引物質である。発酵を担う微生物も、食料を食べ尽くした時には引っ越しを手伝ってくれるものを必要とするはずだ。


興味深いのは、発酵の風味の多くが、文化に固有のものであることだ。

甘味や旨味と違って、こうした風味は、誰もが好むわけではない。むしろ「後天的に獲得する好み」であり、そのためには文化の力が求められ、おそらく子供の頃に繰り返しその風味に触れることが必要になる。

発酵食品の多くは生物学的な境界(腐りかけの状態)にあるが、それは文化的な境界でもある。


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生田久美子 北村勝郎

『わざ言語』
 (慶應義塾大学出版会 2011年)


後進の助産師は仕事をしながらでも、熟練師のお産の介助の技を見ながら、それをモデルにだんだん自分のHow toをイメージしながら学んでいると言う。

この「提示」は熟練助産師の分娩の技の習得過程において、まずは「形」を模倣してみたい、そして「形」の意味を自ら納得したいという衝動を学習者に覚えさせるという働きを持つ。


熟練助産師の分娩の技術だけでなく、母子との関わりや他の助産師のケア、つまり分娩の「場」全体に関心を向けており、そこから助産師としての価値観や責任感、信念を知ろうとする。そういった意味では「型」の意味の再解釈が行われているといえる。このように分娩という活動に「参加」することが重要な要素であると言える。


また、分娩という活動への「参加」では、二つの命に対しての責任を抱えた「緊張」

と、生命の誕生を「喜ぶ」感覚が生まれる。分娩という活動を共にする中で、この緊張と喜びという感覚を常に共数しているといえる。「提示」という非言語的な「

「リズム」「雰囲気」「タイミング」を状況依存的に示していくことで、感覚の共有への働きをも持つと言える。


一つのリズムを作るということは、ある活動の文脈の全体に対する、その人の「参加の有様」を決めることであるという。どういう「姿勢」で入っていけばいいか。そんな調子で加わっていけばいいかを決める。「私」がいつか「私たち」になる。

リズムに「のって」いる時、私たちはもはや「動き」(形)をしているのではない。一つの統一された「有り様に」自分の姿勢、構えを「同化」させているのである。つまり、感覚を共有できる「共同体」となると言える。


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若林恵 編集

『NEXT GENERATION GOVERNMENT』
 (黒鳥社 2021年)


河川工学者の大熊孝の「技術にも自治がある」という著書がある。本書の解説において哲学者の内山節は、大隈の功績をこう記している。


近代技術の欠陥は、技術自体の欠陥として論じるものではなく、技術の成立と選択、実行のプロセスに普通の人々が関与できないことから生じる欠陥であることを、大熊は河川を通して論じた。

それは、国家は地域の人々に検証される仕組みを持たない限り、健全な姿を保ち得ないこと、そして専門家は素人の検証を受ける仕組みを持たなければ、専門家としては健全な仕事をなし得ないこと、である。いうまでもなくこの見解は、近代国民国家のあり方に対する、また、プロフェッショナルな仕事や専門家を育成する学問といったものに対する近代社会の合意への、根源的な挑戦を秘めている。」