2022/12/19 09:49
バーニャをお取り扱いしていただいている福島県にあるサブスタンス/松浦さんと、料理のスタイルから”シェ・パニース”の話になったので調べ直してみる。
リンダ・チヴィティッロ 著/栗山節子 訳
『食と人の歴史大全』
(柊風舎 2019年)
元幼稚園の先生でオーガニックレストラン「シェ・パニース」を、アリス・ウォータースが1970年代にカルフォルニアで、フランス料理と地中海料理を取り入れた店を開く。
(スターバックスも同年にシアトルでコーヒーハウスを開いているらしい)
1970年代では、カルフォルニアのワイナリーが禁酒法から回復し始めた。
1920年代には葡萄の木は引き抜かれれ1933年には禁酒法は終わったが、その後の大恐慌、第二次世界大戦と1945年までワインを製造する事はできなかった。
しかし1976年の大会で、それまでワイン界を牽引してきたフランスを抑え一位に輝いた。
当時のヌーベル・キュイジーヌ(新しい料理)はさらに軽く、脂肪を減らしていく。
1983年にカルフォルニアで出版された”食と長寿へ”の本はベストセラーになっている。
この頃、多くの人は脂肪をカットすることは不死につながると考えられていたようだ。
一方で、多国籍企業が食糧と動物の集約的飼育を実践する。
食糧供給側の大規模な汚染と、劣悪な衛生状態のせいで動物に伝染病が広がる。
さらに遡り、フランスの1950年代を見てみる。
この頃、新しい料理のスタイルが作られるようになった。
まずは、ソースに濃度をつけるのにルーに頼ってきた三世紀にわたる伝統を破り、代わりに低脂肪のブイヨンを使った。
料理はアジアの影響を受けて、非対称に守られ、飾りや舌触り、大きさ、形に重点が置かれるようになり「皿の上の芸術」となった。
1900年頃には、フランス料理を組織化することが行われる。
19世紀、徒弟制度で訓練を受けた料理人エスコィエは20世紀にトップから下っ端まで軍隊式の命令系統を敷く。シェフは料理を受け持つ。男女問わず、献立を作り、どんな食材や調味料を注文すべきかを決め、それぞれの献立のコストを計算し、仕事の段取りを計画する。
同じ頃、アメリカでは工場の製品を大量に作り、広告を打つことで消費文明が加速した。さらに構造用鋼材と板ガラスの二つの新技術ができた。これにより百貨店が誕生した。
1860~70年では、アメリカ合衆国陸軍は先住アメリカ人に対して、南北戦争で使われたのと同じ焦土作戦を行っている。人を殺す必要はなく、食糧の供給を絶てばよかった。バッファローはインディアンにとって食糧源というだけではなく、文化そのものだった。5000万頭が鉄道に乗ってやってきた軍隊によって殺された。
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改めて調べてみると、オーガニック料理から過去100年のアメリカとフランスの社会的背景が見えて面白かった。
あちらとこちらの文化で食べているモノは違うが、それを理解して分かち合うことができる食卓が必要だとも思う。しかし、文化が行ったり来たりすることで同化することはない、それは(A+B=C)になるように思う。Cが美味しいと思っているモノはABにあるが、Aが美味しいと思っているのはBにない。
NOKATACHIは、いつかそんな文化を形作った調味料達と、一緒の食卓に並べられたら良いのかもしれない。