2022/12/21 21:31
以前、自然から採集/収穫された食べられるモノは切り離される内容を書いた。
そして、ノカタチが起業当初に知りたかった問いである「モノが持つ雰囲気」とは何かを改めて考えている。
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熊倉功夫
『日本料理の歴史』
(吉川弘分館 2007年)
1200年頃の鎌倉時代には禅僧の道元が典座教訓を表した。
それは、食べ物を用意し、それを食べることが、人間にとってどのっような意味があるのか。そのことを人間お存在そのものの中において考えてみようとした。
その中で道元は、禅林においては食事を用意する役である典座は重要な役であり、食材を集め料理すること、それ自体が坐禅と変わらぬ「行」であると明確に述べた。
獣肉に限らず日本独特の肉食の禁忌習俗があった。
このような肉食の習俗の背景には、日本人のウチとソトの区別意識が大きく働いていたと考えられないだろうか。
例えば、鶏は「庭」の鳥、つまりミウチの鳥なのである。これは20世紀担っても、鶏を食べる時は、家の鶏ではなく他家の鶏と交換して食べた、という報告がある。
うちにある鳥獣、すなわち鶏や牛・馬・犬・猫などは「ミウチ」であるために食べないが、野にある野鳥・猪・狸などなどはソトの存在であるがために食用して一向に差し支えがなかったのだろう。いつから鶏を食べるようになったのかというと、江戸時代以降である。それは南蛮(ポルトガル)の影響だろう。外国人が卵や鶏肉を食べるのを見て、にわかに日本人も食べ始める。
野本寛一
『栃と餅』
(岩波書店 2005年)
昭和・大正時代には、正月を迎えるに際してイエの臼でついた餅を家族各人に分け、家族揃ってこれを食べていた。家族全員に等しく分与されること、それが新年を迎える年の変わり目に食される。自分に分与された年霊(餅)は他人に食べさせるモノではない、という伝承があるが、これは自分に分与された年霊(餅)をしっかりと体内に入れなければならないことを意味している。
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茶の湯を軸に、モノが持つ雰囲気にまつわる文献を再度読んでみると、自分なりの解釈が立ち上がってくる。
”栃と餅”で「餅を分けることが家族の絆を強化する」とあるのだが、以前読んだ時よりも、想いや力を込めてこねた餅を体内に入れることの方に力点を置きたくなった。この場合、餅ですらなくても良いと思う。
そういう文脈を洗い出していっている。