nokatachi

2023/09/13 03:41



食べるの構成要素:食べるの結論/一定周期の行事を中心に、準備から集約される行為の過程。

(人が時間を捉える行為であったかもしれない)


今年に入って、畑でご飯会を開催した。

畑で採れるアスパラガスをその場で天ぷらにして食べるのが趣旨の食事だ。

畑に興味を持ってくれた遠方の友人たちが来てくれる。

収穫した喜びを分かち合いながら、その場を丸ごと味わうコトになった。

外で食べると言うことは、テーブルの上を行き交う蟻を許容し合い、時折、強くなる日差しや風に耐える場でもあった。

そして、アスパラガスを食べながら隣の畑に目をやり、山菜を食べながら、採ってきた山を見ることも出来る。

ここに食べに来た友人達は一様に感動をしてくれる。それを見て私たちは心から嬉しかった。


これの面白いところは「公」と「私」の移動にある。それは「縁」と「無縁」でもあると思っていて、そして「中央」と「外側」にもなる。要は、ヒトが求めるモノは常にそこに居ながらそこ以外にあるのだ。

そして、作ると言うことは縁から無縁を作り出す一瞬にあると言っても良い。

この軸を持ってNOKATACHCIは、山の採集や、農作業、陶芸の術、料理を作る。

そして「食べるとは」の返答になる。



食べるモノで私は出来ているという言葉がある通り、食べるという行為には常に止まることの無い変化を求めている。

何を食べているか、どこで食べているかなど合理的に説明がつく事とは別に感覚的に意識することは、これからの私のようなモノをどのように変化させていくか考える上で必要だと思っている。


従来の山の信仰を持つ地域があり若者が流出した近代、田舎の爺婆は身体に染み付いた思い出の中に山との関係性を持つ。そこに現在、市場構造の中で新規就農者などが外から入ってくる。

そこには地域という緩衝材が悪いようにも機能する。

脈々と受け継がれてきた山という、山ならざる者たちの集合体を介したヒトとヒトの立場を、地域という集まりが市場経済で新たに繋ぎ直した為に、中と外の意識がズレた。

私がどこに立っているのか。と言う問いに合理的に答えられても感覚的に答えることができない。ヒトが完全に合理的な生き物でない以上、感覚的に答える理由は残っている。

そして、NOKATACHIは「私がどこで何を食べているか」と言うことを、山の採集や、農作業、陶芸の術、料理を通して検討していく。


3年前に山から食材の採集を始めた。訳もわからず友人に山に勧められた。

当初は、離婚もして、起業も失敗していて切羽詰まっていた。山が良いとか気持ちが良いとかそんなの関係がなかった。その友人が楽しそうに山を語るから行ってみる気になった。

最初はクロモジを採集して飲んでみた。ちょっとづつ近くの山の季節に応じた生態を知っていって、食材になるモノを見つける楽しさを知ることができた。

食堂屋を辞めて山に入った当初は山の食材はお金が落ちてるような感覚だった。現状に嫌気が差していなかったらわざわざ山に入るなんて考えもしなかった。


山で採集することは、山を開拓した曽祖父の代との地続きの日常であることを意味する。

人口8000人程度の町に住んでいる。近所には田んぼが広がる。

今は親戚の山に出入りして採集をしている。

時期になれば、どこに何があって、それが食べれるのかは把握している。

夏に行って、夏のキノコを採集するが、その時に春の植物が成長して大きくなっている位置がわかりやすくなる。


春の終わりにアスパラガスの農作業を小屋でしていると、祖母の代からの付き合いがある近所の婆さんが赤ミズという山で採ってきた山菜を分けに来てくれる。

こちらはアスパラガスを渡す。別の日には多く作りすぎたから食べてとワラビの煮物や時には畑で採れた野菜をもらう。

そういう関係の中で、山の食材は使われている。

どこで採ったのか聞くと、無邪気な笑顔で内緒とはぐらかされる。分かってて聞くのだが近所の婆さんや爺さんは山に自分の秘密の場所や山との約束事を持っていたりする。そこには社会関係の外側にある無縁の構造が広がっている。


元を辿れば、山への介入は縄文期にある。ここで重要なのはヒトが山を変える第一歩の現象ではなく。中央から外に向かう構造だ。

環境の変化があり、それに対応する術が中央にはなく外に求めるようになる。

当時の生活環境は更新世の末期には、寒冷な氷期から温暖な間氷期に移行する大きな変化が認められている。すなわち、この変化により日本列島の食性は、森林が針葉樹林から広葉樹林に移り変わるなどの大転換がなった。それに伴い動物も自身のニッチ(生態的地位)の適合のために移動したはずであった。

ニッチを作るために「火」を道具として使用し、野焼き、山焼きをした。樹木は焼かれて草原(疎林)になる。そこには食糧として良好なワラビもある。野焼き・山焼きによる草原の形成は、食糧となる多様な植物を生育させ、より安定した生活を可能にしたはずである。 「山野井徹 (2015)『日本の土』築地書館」


自然のものを文化の側に引き寄せる行為を料理という。

茶席で和菓子を食べる際に出てくる爪楊枝として使われるクロモジを山で採取しても、葉っぱであり枝でしかなかった。

それが自ら山に入り枝を切り車に積んで運転していると香りが車中に広がってだんだんと好きになっていく。

お茶から始まり、発酵や焙煎を試していくうちにクロモジの扱い方がわかってくる。扱っているときにこれも出来るんじゃないかと試したいことが出始める。それを繰り返していくうちに他の山の食材との関わり方も覚えてくる。

クロモジはお茶にすることが多いが乳製品とも合う。お茶にする場合は枝が若いと香りも若い。春には小さな可愛らしい花を咲かす。秋頃の枝は固くなっていて煮出しても若さがない。切った後の乾燥具合でも違ってくるが、どちらも爽やかな香りがあり良いのだ。