nokatachi

2023/10/22 10:17



松木 武彦

『古墳とはなにか』 (角川ソフィア文庫 2023年)

古墳文化の衰退と、世界の中の古墳文化



有史以来世界各地の宗教的な構築物には、三つの基本形がある。

第一は、三次元というよりも二次元の平面的なもので、石器時代のストーン・サークルなどがこれに当たる。簡単に言えば、空間の中に内側と外側とを作り出す仕掛けだ。内側に入って外側を意識することで独特の感興が得られる。

第二は、どの方向からでもたくさんの人に仰がれるように高く作られた。ピラミッドのような構造物。たくさんの人々を見上げさせ、その見上げるという行為の密接につながった恐れや敬いの感情を促す装置である。

第三は、今でも世界各地で「使われて」いる寺院や教会の堂のように、明確で印象的な正面を一方向に持つ建造物である。そこに正面から向き合う要人を導き、対話や事象を呼び起こす働きをもっぱらとする。

このような内外、上下、対面などの物体的体感(認知心理学ではイメージ・スキーマと呼ぶ)と特定の感情や行為とは、時代や地域や民族の差を超えて、人に普遍的なものだ。



死者と生者の空間的な関係も、5世紀までの巨大古墳と、6世紀以後の横穴式石室墳都では異なってくる。前者では、遺骸の空間は、埋葬後には人が到達できない孤高の場所に永遠に差し上げられるのに対し、後者では何度もそこにアクセルできる。先に触れた食器の副葬も、死者の空間と生者の世界との連続性や共通性をかもし出すものだ。



6世紀に入る頃の長たちは、外交や交易を征して資源や文物をもたらす英雄的なプロバイダーというかつての姿よりも、そうした地域の生産をリードする専業プロモーターとしての性格を強めていたと考えられる。

6世紀半ば過ぎにおける列島内鉄生産の開始は、外交から内政へ、英雄から支配者へという長の性格の変化を、最終的に決定づけたに違いない。これよりのち、長たちが朝鮮半島に出向いたり、そのための武装を整えたりする経済的な必然性は全くなくなった。



紀元後1000年期中ごろまでの数世紀間に、一気に地球各地に広まった世界宗教が、それまでの在地の伝統宗教と大きく異なったのは、文字による裏付けの仕組みを持っていた点だ。また、特性の第二として、文字という情報蓄積手段を武器に、知識や記録を積み重ねたり、文字言語ならではの抽象的な概念を駆使したりして、複雑かつ高度に教理を構成して行きやすい。



自らの国や民族の黎明期にこそを古代と呼びたく思う精神的な大前提は、どの国や民族にもある。人類の歩みの全般にわたる歴史の段階があり、古代を紀元前よりももっと古いところに設定する。

あるいは古墳という遺産の世界的意義を明らかにすることを目指す態度である。

重要なのは、これからの古墳研究が、ある一つの枠組みの中の細かい論議に終始するのではなく、大きな枠組み同士の議論や対話の中から、日本人のみならず世界のさまざまな人々が多様な古墳時代像や巨大古墳像を紡ぎ出していけるような機会や雰囲気を作っていくことだろう。

考古学は常に社会を見据えながら知の刷新を試み、いろいろな方法に立脚した多様な研究の方法や視点から、過去の遺産のさまざまな面白さや意義を発信していかなければならない。