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2024/01/16 08:16



南海 和雄

『アマチュアリズム論』 (創文企画 2007年)



アマチュアの対概念はプロである。それは相互に人間の一つの社会的属性であるが、しかし、アマチュアリズムの対概念はプロではない。アマチュアリズムとは観念(イデオロギー)であり、その具体化のアマチュアルール(制度)はアマチュアリズムの主要な部分であるが、全部ではない一部が表現されたものであり、問題はその全体をいかに把握するかである。


本研究で、私はアマチュアリズムを批判的に述べるが、アマチュアについては批判的ではない。


19世紀のイングランド北西部の地域の労働者や農民を相手に、1848年から読書や農業を指導するために、農業読書協会を組織した。それは1850年には健康促進の点からオリンピア教会を創った。


アマチュアリズムが日本に導入されたのは、日本がオリンピックに参加するようになり、その参加資格として、国際的なアマチュアリズムに規定され始めて以降である。そしてそれ以降は、アマチュアリズムによるエリート主義、皇国主義、そして武士道などが結合しながら、アマチュアリズムとナショナリズムが結合するようになった。


アマチュアリズム時代は、エリートであるアマチュアはスポーツ選手としての現役引退は、本来の仕事とは全く無関係であった。スポーツは余暇の楽しみであったからである。

それ故、セカンドキャリアという概念が存在しなかった。


アマチュアリズムは既述のように、スポーツから労働者階級を排除して階級的独占をし、その過程でブルジョアジー自身を統合するための「創られた伝統」だった。当時の労働形態は肉体労働が一般的であった。精神労働はむしろブルジョアジーによって占められていた。そして肉体労働はそれ自体で身体的トレーニングの一部をカバーすることになる。それ故、彼らはスポーツでも高位を獲得することが出来た。つまり肉体労働とスポーツの類似性が根底にある。

しかるに、他の文化領域、例えば音楽や絵画、その他多くの文化領域では、接近し習得するには多大な資金と時間を要する。それ故に労働者階級の子供たちが接近することは不可能であり、事実上社会的に排除されていた。それ故に、それらの領域では殊更アマチュアリズムなどをでっち上げて、労働者階級を排除する必要がなかったのである。それと同時に、そうした領域ではむしろ、プロになって稼げるようになるのが一人前であり、それによって他人からの信任、名声も得ることができた。つまりプロこそが尊敬の対象であり、素人(この分野ではこの意味でアマチュア)は一段低く見られた。


1830年代以降、イギリスの都市では、急速な工業化によって都市スラムが形成され、労働者階級の不衛生な生活状態、低い平均寿命等は労働力再生産によって深刻な危機としてブルジョワジーにも認識され始めた。そしてコレラ流行によるブルジョワ自身への脅威も含めて、次第に公衆衛生革命の運動が持ち上がってきた。こうした中で、労働者階級を中心とする国民の健康増進は、大きな国家課題となり、身体健康への関心は大きなものとなりつつあった。「アスレティシズム」の基盤を形成する屈強なキリスト教は、英雄崇拝といった内容を意味するものとして普及した。

こうした倫理的、道徳的価値はアスレティシズムの崩壊過程でアマチュアリズムに取り入られていったが、本来はスポーツが存立するための前提ともいうべき平等性を内包しており、それ故に近代スポーツの理念として教育に採用されたのである。


資本主義社会もまた過去の古代奴隷制社会、封建制社会と同様に階級社会である。資本を所有し、労働者階級の労働から搾取(それは生産過程と消費過程=分配過程において)して、資本を所有するという差別が存在する。この差別を最も露骨に表現したのがアマチュアリズムであった。


アマチュアリズムはブルジョアジーのイデオロギーであり制度である故に、19世紀末にブルジョアジーの「創られた伝統」として機能した。フェアプレイの思想は中世の騎士道を源流とする。