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2024/02/11 06:15

ジェレミー・リフキン著  訳/柴田裕之

『レジリエンスの時代』 (集英社コモン 2023年)



自由というモットーは、産業革命や資本主義の台頭と密接に結びついていた。ローマ帝国の滅亡から、13世紀に農村部でのプロと産業革命の最初の微候が現れるまで、ヨーロッパはカトリック教会とその聖職者に穏やかに支配されていた。そして、階層性の上から順に、地域の王とその一族、その地域内の公国を治める大公、さらにその下の荘園に住む領主とその土地に付随する農奴たちがいた。


このがっちりと構成された封建社会では、農奴は文字通り土地に属しており、逃げ出すことができなかった。彼らは住む場所を定められ、隷属的に暮らした。自分が所属する荘園の領主に、絶対的な忠誠を尽くす義務があり、完全にその庇護の下にあった。彼らの忠誠は主従関係に基づくもの、つまり、荘園領主の命令に厳密に服従して奉仕するというものだった。


15世紀にイングランドで本格的に始まった大規模な囲い込み運動は、人々と土地との関係が根本的に変化する前兆だった。イングランドと、後にはヨーロッパ大陸各地で、議会制定法によって、地域の領主は土地の一部を売却することが可能になったので、所有地は不動産に一変し、土地は売却可能な商品と化し、多数の農奴が居住地から追い出された。人々と土地との関係におけるこの唐突な変化には多くの理由があったが、その筆頭は、出現しつつあった毛織物市場と羊毛市場向けの羊の放牧という、より設けの多い仕事に土地を使う、商業的な見通しだった。毛織物産業は、他に先駆けて農村部の産業革命につながり、そのすぐ後には、繊維製品の工場生産へと進み、近代の産業革命の始まりとなった。


膨大な数の農奴が土地を追われ、自由に自分の労働を提供して報酬をもらって構わないと言われ、プロト工場労働力の誕生につながった。封建制度の主従関係は崩壊し、個人の自由に取って代わられた。どれほど惨めな境遇だったかはともかく、家族の安全が何世紀にもわたって、自分が付属する土地との結びつきによって守られて来た多数の農奴にとって、この唐突な変化ーこの分離ーは、衝撃的だったと思っていいだろう。自由になり、交渉して自分お労働力を、発展中の市場で提供して報酬を得る方法を学ぶとは、どのようなことだったのか。


自由には、自律性(以前なら皇帝や王たちに、そして大公や領主にしか当てはまらない概念)が伴っていた。そのため、自由と自律性は手を携えて近代へと進んでいくことになった。この種類の自由は、他者を排除する権利、自給自足の権利、他者の世話にならないでいる権利、自分だけの島である権利である。


ベビーブーム世代に続くX世代や、その次のミレニアム世代とZ世代の間では、この従来の自由の考え方は、次第に馴染みのない概念と見なされるようになった。