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2024/02/13 03:45


ピエール・ロザンヴァロン著  解説/宇野重規

『良き統治』 (みすず書房 2020年)



政治において、公約は競争システムの副産物である。このシステムの財の市場を規定するシステムとは逆方向に作用することになる。なぜなら、財の市場では価格が下がることで消費者が引き寄せられるのに対して、政治の市場においては反対に競争が価格を上げることになるからである。これは政治の市場が先物市場だという事実に関わる。有権者はオプションを買い、未来に対して賭けているのだ。それゆえ、投機市場でもある。もしも公約が不渡となるなら、つまり現実が期待に遥かに及ばないなら、有権者はその差額を失望というお金で支払うことになる。


未来というのは、日常的な積み重ねの結果というより、希望を満たすに足るだけの出来事や決定や方向転換への期待であるように思われる。

約束の地に向かう世界という考えは近代性から切り離せず、それを無視することはできない。しかしながら、この約束の地を考えるには二つの方法がある。まず一つは、天恵あるいは軌跡という形をした宗教的メシア信仰の世俗版である。こうした見方は左派陣営において長い間支配的であり、革命思想は政治進学的な要素を持った世界観と当然ながら調和する。だが、未来はもっと別の仕方で前向きに構想しうる。例えば、世界をコントロールできる可能性や歴史を意識的につくっていく能力として考えられる。それが意味するのは、民主主義を、その実現に伴う問題や民主主義が常に陥る危険性の観点から考えていくということである。すなわちそれは、民主主義が昨日する条件を巡る議論を、より強固な共同性を生み出す条件の理解へと架橋しながら、民主主義そのものをめぐる仕事として把握することである。行使の民主主義という概念はまさにこの点に帰着する。

統治者と被治者の関係を再定義することは、対等な人々からなる社会を実現するための諸条件のより明瞭な理解へと道を開くであろう。


18世紀後半に生じたアメリカ独立革命やフランス革命において目標とされたのは、市民の間に(主に経済力における)一定の同質性という意味での平等を確立し、そのことを通じて市民の間に連帯を形成することであった。この目標は、19世紀に入って産業革命が進行し、貧富の格差が拡大することによって一旦実現困難になったが、20世紀に入って、欧米の先進国で総力戦体制の構築に対応する形で福祉国家が確立され、経済的な再分配政策が行われるようになると、再び目標として掲げられ、1960年台までは同質化への努力が続けられた。


ところが1970年台に入ると、一方では、経済成長の鈍化に伴う財源不足によって福祉政策の見直しが不可避になった。他方では、経済や社会の構造転換によって、個々人の境遇が多様化し(特異性に基づく社会)、その結果、同室的な階級・集団の存在を前提にして法律・ルールを一律に適用する形で社会・経済政策を実施するというそれまでの福祉国家の仕組みが有効でなくなった。そのことを受けて、政策的に市民を同質化・平等化していくという社会目標は放棄され、代わりに支持を集めるようになったのは、能力や利害が異なる所個人を公平に扱うという考え方である。それは政策的には、経済を異常原理・競争に委ねつつ、競争の敗者たる品者には国家が一定の扶助を行うという形をとった。会社経営の民主化による利益分配の公正化、給与格差の是正といった、それまで一定の支持を集めてきた考え方は一掃されてしまった。



特異性に基づく社会は、個々人が己の幸福を追求した結果として形成されてきたのであり、それ自体としては基本的に肯定されるべきである。求められているのは、諸個人の多様性を尊重しつつ、社会を成り立たせるための共同性を確立していくことである。この共同性は、何らかの一貫した原理に基づくものではなく、一定の相互理解としての共同性である。そして、そのような相互理解を促進するために役立つのは、芸術、メディア、あるいは学術調査を通じて、社会が抱える諸問題を可視化し、人々の間のコミュニケーションを活発化させていくことである。