2024/10/02 16:28
多木浩二
『生きられた家』 (岩波書店 2001年)
一つは家の象徴性である。家は秩序のないカオスから人間の秩序として現れてきたからである。
家はそれ自体さまざまな語り、複合したテキストである。
(家は外化された人間の記憶であり、そこには自然と共存する方法、生きるためのリズム、さらにさまざまな美的な感性の基準となるべきものに至るまでが記入された書物であった)
生きられた家が成り立つ文脈と家との関係に、修辞的模型を探すこともある。「建築」は、十分普遍化された概念がなければ成り立たない。
バナキュラリスムを標榜しても、建築家の作品は生きられた家の生々しさの彼方に、生きられた家々自身が気づかないでいる「建築性」という概念、自己自信に言及する概念を底から引き出して成り立つのである。いわば他者の眼差しを織り上げることによってひとりの人間の想像力が現在構成可能な空間の限界を描き出すことになる。
生きられらた家が我々を惹きつけるのは、何よりもまず、このように人間によって生きられた空間と時間の性質が現れた記号群であるからであるが、それだけでなくこの記号には階層化された社会の中での欲望、生活術が創り出すさまざまな虚構的現実が読み取れるからである。
(建築は、わたしたちのとるべき行為についての情報を伝達する「記号」として現れる。私たちはそれらの建物を自分胃可能な行為のタイプと結びつけて理解しているからである。)
(建築が日常生活の中で記号化していることや、それがメッセージであると同時にメディアである。ある建物が社会の中で意味を獲得する過程が「文化」とは何かを暗示しているようにも思う。)
(家を建て替える必要が生じた時、しばしば奇怪な新旧混じり合った家が作られてしまうのは、このような過程でかつては確かであった感性や生活様式が崩壊し、美的規範を失った証拠であろう。このような逆転が生じ、古い家が古い家の中でさえ幻影になっていく過程と、田舎、ふるさと、手づくりなどの意味論的な虚構が社会に広がる過程とは、同じ消費社会に根ざした現象であろう。)
家のように、身体にまつわり慣習化された空間では、身体に刻まれている文化的コードを意識しないでいられなかったである。生きられた家というのは、生きられた家と建築家の作品という二極的対立が問題の表面から消え、生きられた家が、言葉、技術、図像、社会的空間、宇宙というさまざまな文脈の展開と交差を出現させ、そこには建築家の作品も包括されるからであった。
屋根は豊かに家をおおい、自然の中に文化の分節をしるしているが、その下に閉じた完結性をもたらしていない。何かがかかる完結を妨げ、押し退けている。つまり、そこに家を仕立てる身ぶりの差異がある。元々日本では家を仕立てることは、建造物よりもテリトリーを画定することであった。我々は部屋の中心を使い、中心から広がる周辺はぼやけている。座敷が対面の儀礼にそって生まれ、茶室が作法と結びついている。輪郭のない場所を儀礼的=象徴的身体が使いこなす時、それを基盤に外面的な空間としての「家」が浮上する。日本の空間は仕様だけが規定する、と言っても良かろう。仕様とは別の言い方をすれば「出来事」である。我々にとって空間とは出来事から生じるのである。
物は実体として存在するだけでなく、意味の次元に存在していることが俄に明らかになる。我々はこの両方の次元において物を理解するが、重要なのはむしろ意味である。いまの場合、意味の次元は仕草によって構成されている。この仕草は後に続く行為の場面全体を変えるのだから、「家」は常に象徴的な仕草によって様相を変えていると言って良いわけである。先の出来事と読んだのはこのような意味に染まった身ぶり(パフォーマンス)である。おそらくそこから身体の記号論が浮かんでくるし、そのような記号論の成り立つ場として、家の演劇的な理解がひらけてくるように思う。
(物自体が実体的というよりも出来事のように経過する性格をもつ結果、日本の調度は一体に軽量で持ち運びが可能なスケールを持つようになる。)
対立を厳密にしないのではなく、この曖昧さをむしろ本質的な世界として、逆に私と外の世界をその中で分節している可変的関係として見出している。
空間とものの結びつきは全く一時的な現象であり、いつでも消去できる性格を持っていることを示している。
日本の場合には、部屋の機能変化は、そこに出現する机とか布団とかいう物=象徴によって生じる。現れる道具が違えば、そこに生じる出来事は違ってくる。
日本の家では、物も一時的に現れ、必要なあいだ滞留し、やがて姿を消す。
ものに心があるという日本伝来の考え方はアニミズムというよりは、こうした物の振る舞い、物との付き合いから生じてくるのではなかろうか。
住居の床は長いあいだ土間であった。かつて土間であった部分が改造され、板が張られて台所になる例もままある。土間はそのまま外部に接続した労働の場所である。土間の存在は家が仕事の場であったことを意味する。これに対して、持ち上げられた床は、労働を離れた生活、食事や休息の場所を用意した。
伝統的な空間近くでは水平面の差異(特に高さ)によって空間は分節されていたように思える。
日本の家では、床が出来事の舞台であり、そのような場所を用意する物であった。
相互関係は、どとらか一方で他方を説明できると言った関係ではない。むしろその相互作用から、ある文化に生きる人間に固有な「認知」の図式が形成されていることを示すものである。
認知の図式、言い換えれば自分及び他者にとっての世界を構成する過程で作用するコードの束のようなものだと考えねばならない。
意味論的には「私」なり「僕」なりは表示義として「話者」を示すだけでなく、共示義として「聞き手」との関係をすでに含んでいるわけである。すでに触れたように私たちには、まず自己があり他者がそれに対置されるというより、この二元論から見れば不確かで曖昧な関係の中にいきなり入り込んで、そのコンテキストで関係し合う要素を分化し、主体が「私」なり「きみ」なりとして産出されるという図式を持って生きている。
(私たちはそれを「椅子」「テーブル」とみなすだけでなく、それらの配置の仕方から、その部屋が会議室であるか寝室であるかをくもなく判断している。その部屋に扉があれば、別の部屋に通じていることを理解し、家の中のいくつかの部屋の間の関係を想像する。これは私たちが日常生活のあらゆる瞬間に無意識におこなっていることだ。)
痕跡であろうと、それらを象徴として生み出すことが、人間が自ら生きるコスモスを創造することであり、その時に「人間」が生まれていたのである。
(どんなに巧みに自分の家を語ろうとも、痕跡を我々が読むほどには語れまい。それらは、初めは過ぎ去った時間のイメージに見えるが、やがて実際の出来事や身体の彼方の言葉以前の原・形象として現れてくる。それ自身の意味の多義性の中で、我々に読み取れるべき世界の象徴として現れてくる。)
曼荼羅のように中心化された心的宇宙を構造化するものなどさまざまだが、いずれも人々が存在的に持っている世界空間の図式化である。
フッサールの現象学の最初の問いは、確らしさを疑うことにあった。同じような問いが別の形で無意識の発見に向かう。自己とは無意識も含めた全体像であり、「家」はこのような自己が現れ出たものである。しかも、それは単に個人的というより、集合的なものある。これらの隠された部分を明るみに出したフロイトやユングは、日常的な確らしさの神話を崩壊させ、同時に象徴の働きをこの無意識との関係で明らかにした。
意識的なモノと無意識的なモノの関係。(日常、働き休み行動する人間の事故は、行動の型の集合体であり、一部は本人によって知覚されるが、それ以外の部分は本人からは分裂していて、本人以外には明らかであっても、本人自身は目隠しされている。)
レヴィ=ストロースが主張するような具体性=象徴性は、不可能という垣根の取り払われる夢の中でしか生じない。そこから考えてみると、野生の思考とは、現在では日常の世界に適用するのは無理であり、無意識のおぞましき世界が、現実に姿を表すような場合にその対応物を持っているように思える。
しかし、最初から世界に対するある種の断念を持ち、あるいは社会から拒絶されている時には、人は閉じた夢のような、しかし、実際には宏大な世界に直接触れるイメージに戯れることがありうるのである。シェヴァールの場合でも、その他の自分の家、ガーベッジ・ハウスを作る人々の場合でも、大部分は現実から疎外された人々であった。出来合いのイメージの合成にもかかわらず、その合成は神話的な輝きに満ちている。それはなんであろうか。ミシェル・フーコーが狂気について「一つの文化が自己が拒絶する諸現象の中において、自己をポジティブに表現するに至る動きである」。つまり、ガーベッジ・ハウスを作って生き続けている人々を、単純に自然界期とか生命的なものへの復帰とか言ってしまうことはできない。それはまさに人間の作り出した文化に属した、しかも極めて逆説的な現象である。
「かたち」は多元的な時間の構造の中をいき、それらを結合させつつ現在を形作ると考える。
過去から未来へ向かう流れの一点としての「現在」の代わりに、多数の時間の軸が構造的な関係に置かれること、すなわち「出来事」を置くのである。時間は出来事の非線形的な網目になる。異種の時間の交差と言っても、出来事は出来事自体の中でどちらかの時間から読まれる。
人類の古い時代に遡ると、人間を律している時間は自然のリズムに見える。だがすでに述べたように、言語をはじめとする表象体系を介して「家の中と家を中心にして、制御できる空間と時間を創造」していたのである。人間の想像した時間と空間、すなわちコスモロジーは、広い意味での言語と身体に依存していた。自然と違った時間と空間の網目で、人間は自分自身とその文化を組織してきたのである。
近代デザインは家族の歴史を追放したというよりは、むしろそのあり方、記憶の形態を払拭したのである。近代デザインは、人類学的時間の多元生を、過去を切り離すことで一元化しようとした。現在が現在であるためには、過去の様式から解放さらねばならない。
家族の歴史については肖像画の行方が暗示的である。それはやがて写真に変わり、この写真はアルバムなりスライドケースなりに納まってしまい込まれるようになった。
人間は家を失いつつある時、かつて家のしまい込んだ生活の記憶をもっと端的な記録に外化して保ち続けているように見える。近代デザインの「ゼロから始める」という主題は、マニフェストであっても実現した試しはない。人々は依然として、さまざまな過去との関係を直接作り出しながらしか、住む環境を構成できないのである。しかし、それに対する反省は、むしろ新しい一つの主題を生むようになった。現在の文脈の上に過去との連続と差異を同時に現実化することである。むしろ、外面化された記憶と現在が共存するという複合が、最も生き生きした現在を作るという事実が次第に明らかになってきた。